メゾン職人の熟練の技から誕生 

創始者の才能
ロベール・ランクス

ショコラティエ、ロベール・ランクスの創造的なエネルギーにより、1977年に職人技によるブランドとして生み出されたラ・メゾン・デュ・ショコラは、創始者の志を今日も継承し続けています。

当時、パリにて、この「ガナッシュの魔術師」は、当時主流であった砂糖と生クリームの過度な使用を一切やめ、初めてアロマの繊細さの際立つ味わいでそれまでと異なるチョコレートを表現したのです。 枠にとらわれない直観力を持つ味わいの探求者は、後に続く偉大なシェフ・ショコラティエたちに大きな刺激と影響を与えました。  

チョコレートの建築家
二コラ・クロワゾー

フランス北西部の大西洋に面した地域、ブルターニュで生まれた二コラ・クロワゾー。
レストラン経営をしていた叔父を週末に手伝いにいく両親について行き、調理上で前菜・メイン・デザートが作られていくのを見て過ごした幼少期。
調理が身近な存在として育ちます。そんな中で二コラが興味を持ったのはスイーツでした。

そうした影響からパティシエの道に進み学校を卒業後、ラ・メゾン・デュ・ショコラに入ったのは1996年。
入社して4年がたちアトリエでのショコラ作りの一通りの仕事を覚えて転職を考え始めた頃、アートピースの制作に特化した特別芸術作品制作担当に任命されます。それは、彼の高い芸術性と才能を見出したメゾンの創始者ロベール・ランクスが二コラのために新設した、メゾン初のポジションです。

その頃から各種コンクールに参加し始めた二コラは、2007年には名誉ある称号M.O.F.(フランス国家最優秀職人章)ショコラティエ部門を取得。そして2012年4月には、メゾンの全クリエイションの総指揮を執る、シェフ・パティシエ・ショコラティエに就任します。

細部へのこだわりを持って絶えず制約を打ち破り、鋭い観察眼と手先の動きの正確さに磨きをかけながら年間約200種類もの試作レシピを作り、わずか数グラムのチョコレートの中で感動に深いニュアンスを与える仕事に挑戦し続けています。また、定番レシピの現代に合わせた調整も進め、その細やかな感性とチョコレートに専心する情熱でメゾンの伝統を守りつつ常に時代に合った新しい味わいを生み出しています。

シェフ・パティシエ・ショコラティエが率いる
35人のショコラティエたち  

創始者の素晴らしい精神は、共有、継承され、フランス国家最優秀職人章ショコラティエ部門の称号を持ち、
チョコレートの制約を常に打ち破り続けるシェフ・パティシエ・ショコラティエ、ニコラ・クロワゾーが統率する、情熱に溢れた35人の職人と見習いにより引き継がれています。  
今日もパリ近郊のアトリエにて、チョコレートが職人の手作業で製造されています。  

卓越した熟練の技

メゾンは、独特の視点と熟練の技を持ち合わせる経験豊富な職人の手により、チョコレートの制約を覆します。
バレンタイン、ホワイトデー、クリスマス、イースターなどにはオリジナル作品を創り上げ、ニコラ・クロワゾーはチョコレートを愛するすべての人々に、独自の芸術を披露しています。

このカスタムメイドの作品には、熟練技、才能、手仕事の精巧さが必要です。アートピースは、緻密な技術を持つショコラティエを結集した専任のチームによって数日間にわたって彫刻され、繊細なチョコレートが作り上げられます。

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ロベール・ランクスがラ・メゾン・デュ・ショコラを創立

注目を集めた「フォブール」進出の際に、ロベール・ランクスは、彼の夢の実現へ向けて一歩を踏み出し、チョコレートに対する独自の新しい姿勢をはっきりと打ち出し、新しいエスプリを吹き込む。48歳の時、ラ・メゾン・デュ・ショコラを創立、1977年10月26日、フォブール・サントノレ225番地のカーブ・コゼットがあった場所で、サル・プレイエルの向かいに、チョコレートのみを扱う初の専門店をオープンする。 この先見の明により、この地はチョコレートの厳かな世界のメッカとなり、ガナッシュの芸術において大きな反響を呼び起こした。彼は後に続くたくさんのショコラティエたちに、大きな刺激と影響を与えることとなる。

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ラ・メゾン・デュ・ショコラの

初の海外進出として、ロベール・ランクスはニューヨークに海外一号店をオープンする。新しい国に進出するたびに、チョコレートの名声を高めるうえで重要な決定的な文化的経験をする。東京、ロンドン、香港はそれぞれの名高い一等地にブティックを迎え入れる。ロベール・ランクスは、その熟練技を海外へ向けて絶えず発信し続けた。誰よりも早く世界をかけめぐって、会う人々にガナッシュやプラリネの繊細さを伝えたのだ。彼から直接手ほどきを受けたすべての人々は、そのときのことを感動に満ちた思い出として覚えている。

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 第1回サロン・デュ・ショコラへのメゾンの参加

パリで第1回サロン・デュ・ショコラ開催。ロベール・ランクスは当初から熱心に支援し、「メンター」ショコラティエとして創設者を支え、クチュリエのジャン=ルイ・シェレルと協力して初のチョコレート製ドレスを製作する。この素晴らしい友好関係を称え、2011年には、サロン・デュ・ショコラと業界がロベール・ランクスにオマージュを捧げ、多くの人々が暖かい言葉を贈り、個人的な一言やちょっとした逸話を披露し、彼の人として、プロフェッショナルとしての才能や見事に新しいものを生み出すチョコレートに対する理想を褒め讃える言葉を口にしている。

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 メゾンがコルベール委員会のメンバーとなる

メゾンがコルベール委員会のメンバーとなり、そのノウハウとクリエイションを通して、革新し続け、フランス流「アール・ド・ヴィーヴル(生活美学)」を世界に広めている由緒ある84もの高級ブランドの仲間入りを果たす。そして、フランス文化や熟練技を象徴する花形的存在の高級ブランドによるオートクチュール、ジュエリー、香水、ワインやブランデーと並んで、その高い文化的価値を海外に発信している。 

「ショコラティエは職人芸です。チョコレートはすべて手作りですが、実際のところは心で作られているのです!」ロベール・ランクス  

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 ラ・メゾン・デュ・ショコラ創立30周年を祝う

祝30周年!サル・プレイエルで開かれた豪華なソワレでラ・メゾン・デュ・ショコラ創立30周年を祝ったロベール・ランクスは、それまでの彼の業績に対してレジオン・ドヌール勲章を贈られる。

同年、ニコラ・クロワゾーが非常に貴重な称号であるM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)ショコラティエ部門を受賞する。これにより、トレンドを創り出す美の職人たちの輪の中に加わることになった。絶えず制約を打ち破り、鋭い観察眼と手先の動きの正確さに磨きをかけながら、チョコレートの中で感動に深いニュアンスを与える仕事に挑戦し続けている。

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ニコラ・クロワゾーがシェフ・パティシエ・ショコラティエに就任  

ありきたりの方法から離れて冒険してみること、新しく創り上げ、模倣しないこと、何ものにも束縛されない独創性を示すこと、流行に左右されないこと。ニコラ・クロワゾーは、メゾンの才能豊かな演奏家であり、どんな小さな秘密も見逃すことなく心得ている。1996年にロベール・ランクスに弟子入りして以来、彼は一度もメゾンから出ることはなかった。 彼のシェフ・パティシエ・ショコラティエとしての自在で巧みな手腕は、2012年以降、すべてのクリエイションにそのエスプリを刻み込む。愛情、アート、そしてテクニック、ニコラ・クロワゾーは自分とチョコレートとの関係をこのように形容する。両者の運命は分かち難く結び付いているかのように、彼の手にかかるとチョコレートは他のどんなものより生き生きとした表情をみせる原材料である。

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心と体を満たす明日のチョコレート

「もし、これまでずっとしてきたチョコレートの作り方をやめたとしたら…」ニコラ・クロワゾーはチョコレートに、いかに自然のままの姿でいられるかどうかという試練を課す。生クリームとバターを除外すること。ガナッシュの新しいコレクション「ビヤンネートル」は、新たな事実を提示している。2015年の野菜を使った、エスプリサレや、クリームを使用せず空気を材料に取り入れたアンヴォール、そして、2021年発表予定のヴィーガンのショコラなどの一連のクリエイティブラインで。ニコラ・クロワゾーは明日のチョコレートの味わいの可能性を開拓し、より進化したクリエイションを導き出す。

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シェフ・イン・レジデンス 

ラ・メゾン・デュ・ショコラは、想像を超えるクリエイションを創り出すことを目的とし、著名で意外なコラボレーターを招待する、コ・クリエーションのためのオープンスペースとして「シェフ・イン・レジデンス」を設けた。  レジデンスのそれぞれのゲストは、独自のDNAをもたらすことでニコラ・クロワゾーとデザインする未知のチョコレートに色を添えていく。2人のシェフは、共に新しいものを生み出す創造的な世界を構想する。2つのブランドのエスプリが刻まれた期間限定の製品は2つのメゾンで販売される。 2019年のゲストであったM.O.F.グラシエ(アイスクリーム職人)のD.ウェスマエルからリレーを引き継ぎ、2020年にはピエール・エルメが招待され、ヴィーガンの2つのパティスリーを生み出した。